誕生日を迎えるにあたり、心より厚く御礼申し上げます。
私は1976年7月12日に岐阜市で生まれ、明日0時で40歳となります。
今夜は30代の10年を振り返ることになりますが、一言では言い表せません。
30代の始まりは初めて自分の車を買ってから4か月あまりで訪れました。
30代前半は正直なところ、外に出ることが多くても引きこもりで人見知りで、人との関わりを極力避けてました。
1人の時間を好み、親にも背を向けて自分勝手な行動、自分勝手な言動を繰り返し、ネット上でもトラブルだらけ。
ついには日常生活でもトラブルを抱え、自分の意志で退職して家族がやっている労働者派遣業にかかわるようになりました。
30代半ばの頃には事故で相手にケガをさせてしまったり、後ろからあおってくる車の影響で速度超過をして交通違反をしてしまったりと、自業自得というべき状況も作ってしまいました。
ようやく安定してきたのが36歳の秋、2012年10月から11月にかけてでした。
当時は静岡市駿河区に本部があった一般社団法人「日本クラブメンター協会」のチャプター研修に誘われ、今までとは全く違った雰囲気で戸惑いはありましたが、家族の反対を受けながらも2013年2月後半に入会、以来自分の捉え方が大きくかわりました。
今では人との関わりに充実感を覚え、人見知りであることに変わりはありませんが、ある程度はご挨拶できるまでになりました。
何よりも大きかったのは、「Jam9」という頼もしい若者たちの音楽によって、浜松と身近になれたこと。
Jam9は私が33歳だった2010年6月23日に、浜松にいながらメジャーデビューしたのですが、たまたまその時静岡FM「K-MIX」を聴いてまして、Jam9がまる1日ワイド番組に出ていたことを今でも覚えてます。
初めてライブに行ったのは37歳だった2013年8月25日のイオンモール浜松市野、24時間テレビのステージでした。
今では月に数回Jam9や同じ事務所の後輩と直接会うようになり、車の中を中心に音楽に親しんで様々なことを学ばせてもらっています。
30代の人生においては、家族との別れも経験しております。
36歳だった2013年2月23日、岐阜の祖父が未明に亡くなって通夜から葬儀・告別式に参列し、家族だけが入ることが許される本当に最後の別れをする場にも出向いて、今でははるか遠くの空から主に心の中で見守ってもらっています。
年に1回のペースで墓参もさせてもらって、そのたびに温かく迎えてもらえることに感謝しております。
いざ10年を振り返るとなるとうまく記せないものですが、今の自分になったのはここ数年です。
2年半ぐらいですかね、コントロールがきくようになったのは。
それでもコントロールがきかずに脱輪をしてそのたびに叱られたり自分で苦しい思いをすることがしょっちゅうですが。
ブログにしてもSNSにしても、従来のお付き合いにしてもこの2年半ぐらいでやっとまともになってきた気がする。
シャイで人見知りなところがあって、SNSで言うところのフォロー・友達登録といった名刺交換もままならないし、初対面が特に緊張して名刺も渡すのをためらってしまう。
それではいかんと思いながらも、足がとまってしまう。
あと数時間で迎える40代は、なににおいても責任感を持って何事も本気で向き合って本気で取り組むことを10年間のミッションマネジメントにしたいと思います。
私は40歳でありながら未婚で、まともなお付き合いも本気でしておりません。
正直なところ結婚して籍を入れるということは、配偶者になる人以外を愛してはならないという勘違いもしております。
はっきり申し上げますが、同じ籍でなくても他人と思ってはならないということでございます。
一生をかけて支えていくことが健全なお付き合いであると、結婚しながら他の人を愛してしまったら不倫という文化があることがごく自然な流れで、大変困っていて助けたとしてもあり方が違えば大変なあやまちになってしまわないかを恐れています。
出会ったからには本気で向き合って、仮にお付き合いを終えて遠くに離れたとしても、心の奥でご縁が保たれるようなお付き合いを私自身はしていく志を持ちます。
なぜなら本当のお別れは亡くなって最後のお別れをする時、天国の遥か彼方で見守る段階になった時に訪れるもので、お互い生きているのにお別れというのは筋が違う。
本気で向き合うこと、本気で支援をすることはどんな出会いであっても既定路線で進むべきと捉えます。
結びになりますが、実生活・ブログ・SNSを通して私と関わってくださるすべての皆さまに、文面ではございますが心より厚く御礼申し上げます。
40歳は文字通り成人になってから20年で、「2回目の成人」という位置づけを私もしておりますが、ひところ言われた「人生の折り返し」という位置づけは全くしておりません。
なぜなら人の一生は、私たちが気づかない所で神様が決めておられて、どんな形であったとしても最終的には神様がお迎えに上がるということだと捉えています。
大変難しい分野になりますので、ここで記すのは控えますがちらっと耳にした、目にしたお話です。
30代から40代へシフトしても、ふるさと名古屋への深い愛はかわりません。
この10年で身近になった浜松の関わりをさらに深めていきながら、従来の静岡・岐阜との関わりを維持してまいります。
何よりも支えていただいていることへの感謝を示すこと、一生涯かけて続けていきます。
常日頃記している「peace out. 愛(*^^*)感謝」ですが、日本の平和を幅広く広めていく平和を外への「peace out.」と、常に自分や人を愛し感謝する心を忘れないよう精進していくための「愛(*^^*)感謝」を末尾に書かせていただいています。
日本人はどうしても躊躇している愛してるという事柄を、もう少し柔らかく示したのが「有難う」でございます。
愛してます、有難うございますを連呼することで、あたりまえの世の中がなくなって有難うの世の中しか見えなくなります。
期待するのは自分自身に対してだけにして、直近の期待を人に対してするのであればすべてを受け容れる信頼に切り替えていきましょう。
40歳になってからも、ブログ・SNSはフル稼働させていきます。
通知が多くなる恐れがあっても、私は皆さまの幸せを願って記していく。
幸せの郵便ポスト・宅急便だと思って今後もお付き合いください。
新たな10年を迎えることになるので、非常に長い文面になってしまったことをお詫び申し上げます。
本気のメッセージ、ぜひお受け取りいただきまして、私と一緒に本気の幸せをつかんでいきましょう!
30代の10年間、大変お世話になりました。
40代もどうかよろしくお願い申し上げます!
peace out.
愛(*^^*)感謝
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