浜松に好感を持ったきっかけ Jam9と家康くん

不定期配信の新しい概念を身につける

メンタリング人材育成法の学びに基づく

メンタリングメッセージ。

今日はここ数年で浜松に好感を持った

本気の理由をプレゼンしていきます。

スマホ・フィーチャーフォンのユーザーも

多いので基本写真は載せておりません。


忘れもしない2001年11月14日

私は名古屋で会社員をしとった時のこと。

夜の全国ニュースで大きな衝撃を受けた。

「静岡県浜松市の百貨店・松菱が

経営破綻し閉店に追い込まれました」

未だに耳から離れん「経営破綻で閉店」

当時私は25歳で社会人5年目。

経営破綻は企業倒産みたいな解釈しか

してませんでした。

まさか百貨店が。。。

数時間前まで普通に営業しとった店が

シャッターがおりてまって

店員に詰め寄る婦人客の泣き叫ぶ声

怒号も飛び交う中で呆然と立ち尽くす

浜松の人たち。

目や耳を疑う夢のような悲劇でした。

当然のことながら私は浜松から遠ざかり

静岡の自宅に帰ってからも

静岡市に行くと思えば名古屋に帰ったり

浜松を飛び越えて豊橋に行ったりした。


浜松の都心(当時は中心市街地)から

人がいなくなった言う言い方は

おかしいけど明らかに激減してまった。

2004年に今の西区志都呂

2005年に今の東区天王町に相次いで

今のイオンモールが開業しましたが

都心は遠鉄百貨店と浜松駅直結の

「メイワン」中心と商業は低迷期が

今も続いてまっとります。


そんな今昔物語を経て

浜松は劇的によみがえった。

2003年3月13日に結成された

Giz'Mo・PRINCE YK・MOCKYの3人

「Jam9」の存在が今の浜松を見る

原動力となりました。

浜松の音楽レーベル「united music」を

Jam9が率いるような形で

加山雄三さんが属するレコード会社

「ドリーミュージック」から

2010年6月23日浜松在住メジャーデビュー

という離れ業をやってのけました。

正直申し上げて

Jam9が活躍しとらんかったら

浜松というまちは

ここまで明るくならんかった。


いつしか私も名古屋の次に浜松を

位置づけるようになり好感を持っとる。

Jam9に加えて市マスコットキャラ

出世大名家康くんの存在が

遠州地域に住んどるものとしての

ステータスを呼びこんどる。

文化は違えど同じ東海地方なんや

名古屋から静岡に来た私にとっても

浜松が第2の故郷に思えてくる。

Jam9をはじめとする浜松の皆さんは

快く私を迎え入れてくれます。

今では「あんなことがあった浜松が

どえりゃあこと明るなってまって

でら居心地がええてあんきだがや」て

自信を持って言えます!

浜松は最幸なエンターテイメントシティ

土日になれば車で、電車で天竜川を

渡るのが日課になってきた。

自分で予定を作って浜松に行くのが

パラダイムシフトの1つとして機能しとる。

県庁所在地やなくてもええんだわ!

名古屋から100キロ離れとってもええ!

浜松というまちがあればそれでええ。

本当に浜松と出会えたことに感謝です。


強気に本気!無敵に素敵!元気に勇気!

東海から日本を元気に!

名古屋と浜松、元気まちと元気な笑顔が

私にとっての共通点でございます。

でら愛してます!有難う!愛(*^^*)感謝

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